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母の祈りと、 息子の帰還

キリスト教科学さきがけ』2009年07月 1日号より

Christian Science Sentinel, 15.12.2008


10分だけ、 恐れから自由であること。 それが私の目標だった。

何年か前、 20代の息子が、 薬物乱用の罪ですでに保護観察下にありながら、 ある日、 誰にも告げずに職場から失そうした。 そしてついに、 彼は家に帰ってこなかった。

私は警察や、 彼の居場所を知っていそうな友人たちに連絡した。 1週間しても、 彼から何の連絡もなかった。 私はろうばいし、 絶望し、 恐れで心身共にまいっていた。 時間が経ってゆくなかで、 私は泣き、 心配のあまり眠れなかった。 が彼を守っていることを信頼して、 祈るべきだと分っていた。 私はキリスト教科学を実践しながら成長し、 キリスト教科学の初級クラス指導を受けていて、 これまでたくさんの癒しを経験していた。 それでも、 私は放心状態で、 何も手につかなかった。

すると、 特に苦しかったある日のこと、 冷静さを失いそうな中で、 私はある霊的な考えを得た。 たった10分間だけでも、 完全に、 完璧に、 恐れないでいるように努力してみたらどうだろう?

奇妙な考えのように思われたが、 やってみるだけの価値があると思った。 そこで、 私は最善の努力をしてみた。 でも、 自分にできたのは、 10秒ほどだった! しかし、 あの恐れから解放された10秒は、 私の展望を大きく変える始まりとなった。 その短い時間に、 優しい、 神性の論理が私の考えに入って来て、 初めて、 自分があれほど切望していた平安を味わうことができたのである。

間もなく、 恐れに捕われることが度々ありながらも、 もっと継続的に祈ることができるようになってきた。 次の数週間、 目標を高め、 少しずつ時間を伸ばしてゆき、 私は、 この無慈悲な不安に包まれている状態から、 心的に静かに意識を反らし、 恐れを捨て、 が与える平安の権利のうちに心を休めた。

ある日の午後、 教会の友人が電話してきて、 私の心配を察してくれた。 今、 経験していることを話すと、 彼は、 穏やかに、 ごく自然に、 「それなら、 あなたを助けることができますよ」 と言ってくれた。 そして、 その晩はずっと、 いっしょに祈ろうと言ってくれた。 私は感謝して、 申し出を受け入れた。 私は、 愛と同情を感じ、 この友人の助けに本当に勇気づけられた。

その夜、 遅くなって、 私は長い散歩に出て、 自分の霊的身分について、 自分が真実であると知っていることを確認した、 つまり、 私は、 未知のどこかに向かって、 終わりのない暗いトンネルを手探りで行く、 ひ弱な、絶望した、 人間の母親ではないということだった。 私の身分は、 霊的に健全であり、 平静であり、 自信を持ち、 の子すべてについての真理の証人であることを確認し始めた。 なかでも、 私たちはすべて安全であり、 私たちの神性の父-母は、 私たち一人ひとりについて責任を持つという考えが、 顕著に示された。 このように考えていると、 飛行機に乗っていて、 乗務員が 「酸素マスクが降りてきたら、 まず自分の顔に装着し、 それから他の人を手伝ってください」 と言うのに似ていると思った。 息子に関する恐れに満ちた考えを正す前に、 私はまず自分自身のために祈らなくてはならないことを悟った。 私はその努力をした。

ある日、 料理用のタイマーにスイッチを入れ、 あの10分間、 恐れから自由になるという自分との約束を実行した。 ベルが鳴ったとき、 喜びに包まれた! そのあいだ、 ずっと恐れから解放されていたのだった。 ご想像のとおり、 それから数ヶ月間、 キリストの神性の論理、 つまり、 慈しみに満ちた永続する平安が、 働き続け、 私を落ち着かせ、 安定させてくれた。 警察が、 息子の居所を見つける努力を止めても、 彼の安全と守りをの保証に委ねるという私の霊的努力は続いた。

攻撃的な恐ろしい映像を、 考えから根絶することが、 私の日々の務めとなった。 私は、 常時、 それらを、 信頼、 神性のの導きの確信、 の安全性、 またの常なる現存に置き換えた。 ほどなくして、 「恐れから自由になる」 訓練を、 まる1時間にした。 そして、 「1時間できるなら、 丸1日にしたらどうだろう?」 と思った。 私は、 ゆっくりと、 しかし確実に、 心痛から解放され、 再び普通に眠り、 平静を失うことなく、 日々を過ごすようになっていた。 確かに、 内なる喜びを感じ始めていた。

しかし息子は、 どこにいるのか見当もつかなかった。 これはあらゆる意味で、 普通ではなく、 正しくないことだと思った。 この状況について、 更に祈り続ける必要があると思い、 私はキリスト教科学実践士の事務所を訪ねた。 彼は祈りで助けることに同意してくれた。 そして、 そのときから、 実践士と定期的に話すようになった。

息子が失そうしてから4ヶ月ほどたったある日のこと、 彼から短い eメールが届いたのである。 彼は強盗に襲われ、 すっからかんにされた、 「悪いけれど」お金を少し送ってもらえないか、 と言ってきた。 そして、 お金が送れるように住所を知らせてきた。 彼から連絡があったが、 どこに住んでいるのか、 はっきりしなかったので、 このときは、 彼のところへ駆けつけたりせず、 そっとしておくのがよいと思った。 私は、 が優しく、 息子との関係を強めるために、 私が歩むべき道を示してくれるように願っていた。

彼がついに連絡してきて、 私は本当に胸をなでおろしたが、 彼と定期的に連絡することはできなかった。 毎日、 彼に eメールを送っていたが、 返信はなかった。 彼が何をしているのか、 どこに住んでいるのかなど、 さまざまな質問が頭をよぎっていた。 彼が薬物を使っているにちがいないことが、 一番心配だった。 あの以前からの恐れ、 心の痛み、 怒りが私に襲いかかってきた。 そこで再び、 恐れをまっすぐに見据え、 正面から対決し、 退散するまで静かに凝視していなければならなかった、 それはまるで野生動物に対するようにであった。 私は、 確固として、 不動の霊的統治を示さなければならないことを悟った。 しかし、 私の姿勢は、 冷静というより、 キリストの力やの愛のメッセージの確信に基づくものだった。 私はこの嵐の最中、 「甲板に留まり」、 「船のなかに降りてゆかない」、 つまり退却しないことを決意していた。

それから1年のあいだ、 実践士の愛に満ちた支えに助けられて、 私は、 幾つもの意義深い啓示と、 祈りによる洞察を得た。 そして、 安定、 安全、 霊的強さなどの特質が、 息子に属していることを理解し、 実感できるようになった。

そのうちに、 私の前の夫 (息子の父親) の助けも得て、 また更に調査を続け、 ある人を通して、 息子の住所を入手することができたが、 その人によると、 息子は国を横断するような旅を重ねてそこに行き着いたということだった。 彼の父親は、 幾つもの州を越えた地で、 ついに彼を見つけた。 彼は、 理想的な状態にあるとはとても言えなかった (息子はホームレス状態だった) が、 頼りにできる友人らがあり、 きちんと物事が考えられるようすだった。 私は本当にほっとして、 感謝した。

しかし、 私はなお、 ホームレスの状態,心の不安定、 薬物の常用などについて、 祈らなければならなかった、 それは、 薬物が息子の関係しているグループの中で、 まん延していたからである。 祈りを深めてゆくと、 以前のような絶望感が薄れ、 自分の霊的感覚に完全に頼れると感じるようになっていた。 私は、 が与える、 平安、 真の愛情、 安全、 明晰さ、 洞察、 直観、 支配などの感覚を、 所有しているのであった。 そして、 息子にこれまで長いあいだ貼られていたレッテルに、 霊的に対処することを心に決めた。

科学と健康』 の次の言葉について深く考えた: 「わたしたちは、 神性の 『実在するもろもろの力』 に支配されていることを喜ぼう」 (p. 249)、 そして、 私は、 の子供たちは、 生命の法則にのみ支配されていることを絶えず確認していた。 私は、 自分の心の平安を保つために祈り、 また、 息子は事実 「の複合理念であり、 正しい理念をすべて含んでいる」 (『科学と健康』、 p. 475) ことを理解するために祈った。 の人とは、 男性と女性の総称であり、 また単なる化学物質の集合体ではないこと、 そして、 それが均衡を保っていようと、 不均衡であろうと、 そのような物質の集合体ではないことを認識した。

私はまた、 どうしたら 「より高尚な喜びだけが不滅の人の渇望を満たすことができる」 (『科学と健康』 p.60-61)か、 ということについて深く考えた。 息子が、 神性の冒険、 霊的目的、 完全な喜び、 優しい不変の愛、 を求めることは、 自然な渇望であり、 それはのうちにあって実現され得るものであった。 そして、 その神性の渇望は、 事実、 価値ある動機であった。 そして、 それのみが、 彼が人生に求めて止まない引力、 必要、 願いであると考えた。

なお多くの浮き沈みがあり、 その中には、 彼が国中あちこちからかけてきた絶望的な何本かの電話もあった。 また、 一方では、 彼が自分から率先してかけてきた、 もっと喜ばしい連絡もあった。 ある日、 ただ電話をかけて来て、 初めて太平洋で泳いだという嬉しそうなメッセージを伝えてくれた。 また私たち家族の者たちの間にも、 着実に、 より安定した、 静かな雰囲気が育っていた。 そして、 私は、 息子は安全で、 愛され、 導かれ、 純粋であるということが、 確信できるようになっていた。 単に、 これが本当であると望み、 その真似をしているのではなかった。 それは、 私が霊的感覚を通して得ていた確信だった。

ある日、 息子が電話してきて、 家に帰ってきて、 家族のそばにいたいと言ってきた。 彼が到着したとき、 まる1年ぶりに帰った来た彼を、 私は両腕を広げて迎え入れた。 アメリカを横切るような無銭旅行をして来た彼は、 多少、 野生的な、 荒々しい経験をしてきたに違いなかった。 しかし、 それを超えて、 彼は変わっていた、 そして有益なことを学んでいた。 ホームレスの人々に深い同情心を持つようになり、 人生において何が重要であるかについて、 新しい見解を得ていた、 また、 家族と結ばれることの必要に気づいていた。 彼は、 また、 薬物には、 もう魅力を感じなくなったと話してくれた。 彼の保護観察期間は解かれ、 少しずつ、 しかし確実に、 創造的な人生を築き始めていることが、 分かった。

ある日、 私は息子に、 あの一年間の経験で、 どんなことを最も学んだかと尋ねた。 彼は、 どうすれば自分の心が平安でいられるか、 どうすれば心配しないでいられるか、 またどうすれば愛すことができるかを学んだ、 と教えてくれた。 それを聞いて、 私は、 自分自身の霊的成長と平行していることに気づいた。 私も、 次の3点を最も学んでいたのである。 私は自分がいかにして深い平安のうちにいられるかを学んだ。 私はどうすれば心配しないでいられるかを学んだ、 そしてそれは、 私の物質的感覚に頼るのではなく、 霊的感覚が告げる真の情報に頼ることによってできたのである。 そして、 何よりもまず、 いかにして本当に愛すことができるかを学んだ。 私がかつて自分の人生において愛であると認識していたものは、 恐れに裏打ちされていたのである。 今、 私は、 どうすれば、 以前よりも、 勇気をもって、 無条件に、 が愛すように愛すことができるかを理解するようになった。 これは、 息子の父-母が彼を見るように、 見ることができるようになったことを含んでいる。

今、息子は大学の最終学年にいて、自分の望む人生をはっきり認識し、自分の能力を生かして、自信をもって自分の目標に向かって進んでいる。私もまた、あの10分間だけ恐れから自由になるという試みから、大きく前進している。料理用タイマーと祈りで武装して、この試みを始めた当時、あの自分との約束がどれほど強力なものとなるか、まるで知らなかった。しかし、今は、知っている。そして、それは、今なお、私を前進させている。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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