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私の旅路 — 「末期にある病 」 から、 喜びと健康へ

キリスト教科学さきがけ』2009年07月 1日号より

Christian Science Sentinel, 14.7.2008


キリスト教科学を通して、 また聖書を読むことによって私が学んだことは、 愛に満ちたが存在するということです。 の愛と現存が癒しをもたらし、 どんな診断も覆すことができることを知りました。

しかし、 テレビが最近、日々、エドワード・ケネディ上院議員が脳腫瘍と闘っていることについて、敬意と賛辞を贈っているようすを、 私は、 個人的に見つめてきました、 自分が15年前に同様の状態にあったからです。 「希望がない」、 「悲劇的」、 「運悪く」 などという言葉で、 私の状態が描写されていました。 私の旅路は、 そこから始まりました、そして、 真の癒しと、 愛の場へと、 導かれたのです。

この物語は、 1993年に始まりますが、 キリスト教科学について聞いたこともなかったときのことです。 当時、 私は、 どんなにひいき目に見ても、 不安定な結婚生活を送っていました。 夫と私の間には、 5歳と7歳 の2人の息子がいました。 ある症状のため、 医者の診断を受けたところ、 手術不能の脳腫瘍が脳の根幹にあり、 余命は2月程と宣告されました。 医師らは、 家に帰って最期を迎える準備をするようにと言いました。

私はまるで映画で、 誰か他人の人生を見ているように感じていました。 結婚も危うい状態で、 どうしようもない事態になっていたのです。 それまでの人生で、 あれほど深く沈み込んだことはなかったでしょう。 私はいつも、 他の人々を幸せにするために努力してきたのですが、 今やそんなことは、 何の意味も持たないように感じていました。

私は、 熱心な 「ボーンアゲイン・クリスチャン」 の家庭で育ちましたが、 私の子ども時代は、 幸せなものではありませんでした。 私は、 もし、 先に父親にそうされていなければ、 が私を罰するに違いないと思っていました。 地獄の火とか業火についていつも聞かされる宗教の中で、 とかという言葉は、 空虚なものでした。 私は、 また、 人生のほとんどを、 重度のうつ病で苦しんでいました。

そんな背景を持つ私にとって、脳腫瘍の診断は、当初、それが正しい判決であるはずがないということに、全く気づいていませんでした。うつ病の経歴を持つ私にとって、 この診断は、 来るべくして来たものと感じたのです。

それでも、この裁断が全く正しいとも思われませんでした。 死ぬということは、 理解できたのですが、 なぜが、 2人の小さい息子から、 母親を奪い去るような残酷なことをするでしょうか? 私の人生は、 ごく平凡なもので、 誇りに思えることはありません。 しかし、 振り返ってみて、 母親として達成したことには、 非常に誇りを感じていました。

この頃、新しい心の動きを感じていました。 自分にいろいろ問いかけるようになっていたのです。 暗闇の中にあって、自分が何か違う結末に至るに値するとは、 考えられないながら、が、 罪のない2人の子供たちに、そんなに残酷であるはずがないということが実感されたのです。

ある時、 苦しむ自分を支えてもらいたいと願い、 精神療法師のもとへ行きました。 そこで、 受けた支えは、 心理学的というより、 霊的なものでした。 私は、 治療師に、 ばかげた質問だと思いながら、 次のようなことを聞いてみました:あなたは、 祈りを信じていますか。 どうして、 祈りには、 さっぱり効果がないように思われるのでしょうか? 当時、 私にとって祈りとは、 真の助けをもたらすものではなく、 クリスマスに欲しいものの立派なリストを作るようなものでした。 それでも、 質問しているうちに、 私のなかで、何かが展開してゆくように感じていました。 これらの新しい質問だけではなかったのです。もう既に、答を知っていると思う質問に、 戻ったりしていました。

私は、 世界を、 また人生を、 違った目で見ることができるなどということを、考えたこともありませんでした。しかし、 今や、 私は、 どんなに厳しい質問をしても、 また新しい答を与えられたにしても、 何も失うものがなかったのです。

ある日、 ついに、 私は信じられないほど安らかな気持ちになりました。 その時はまだ、 が誰なのか知っているとは言えなかったのですが、その現存を、身近に感じることができたのです。 そして、 たとえ私に何が起ころうとも、 息子たちは大丈夫だ、 という確信を得たのです。 私が癒されることが唯一の救いであるというように、 自分で決めてしまうことを一切止めました。

自分が癒されるに値することに、 まだ気づいてはいないながらも、 息子たちは大丈夫ということを知るだけで、 驚くほどの平安と幸せを感じました。 その論理的な理由はまだ見えなかったのですが、 後にそれが大きく示されたのです。 私の幸せは、 とても深いもので、 それが現実であり、 否定できないものであることを示していました。 祈りとは、 純粋な願いであり、 感謝であることを知る人は、 私に何が起こっていたかお分かりでしょう。 メリー・ベーカー・エディは、 「願いが祈りである; それゆえ、 願いが言葉や行為に表わされる前に、 型取られ高められるように、 にわたしたちの願いをゆだねるなら、 何も失うことはない」 (『科学と健康』、 p.1)と、 書いています。 私の精神的暗闇は、 私がのちに知った、 キリストの光、 人は完全だというのメッセージによって、 打ち破られました。 神性の真理によって考えが変わると、 身体が、 その変化を映し出すのです。

医師に言われたとおり、 2週間おきにMRIを受けに病院へ行きました。 医師や助手たちには言いませんでしたが、 私の中で何か変化が起きていることを感じていました。 私は、 が本当に存在するのか、 そして存在するとしたらどんななのかということを、 理解することに集中していました。 そして、 こんなことを考える時間はたっぷりあったのです。

忘れもしません。 ある日、 寝室の床に横たわって、 デッキに集まってきた小鳥たちや、 鳥の餌皿に寄ってきたリスを見ていました。 このリスとは、 かなり格闘してきたのです。 鳥たちのためにおいてある鳥の餌を荒らしてほしくないので、 私はこのリスに、 ペンや鉛筆を投げつけていたのです。 その日、 自分の人生に起こっていることに思いを巡らせていたところ、 鳥の餌をまだやっていないことに気づきました。 その小さな動物は、 スクリーンの所まで大胆にやってきて、 たたき、 いかにも 「おい、 そこのご婦人、 僕の餌を忘れちゃったのかい」 とでも言いたげなようすでした。 私は餌を持って来て、 この動物は、 なんて頭がいいのだろうと、 おかしくなって笑ってしまいました、 その無邪気さと温和さの裏に、 何か説明できない確固としたものがあることも感じました。

もしかしたら、 私が自分はよく知っていると思っていることは、 私の置かれている状態などについてですが、 実は、 この動物の知性ほど本物ではないのかもしれないと思いました。

そこに横たわって、 について考えました。 は、 親切で愛にあふれているのだろうか? 息子たちを置いて行くことについて得たあの平安は、 このと関係しているのだろうか? そのとき、 最高に革新的とも言える (そしておかしな) 考えが、 頭に浮かびました。 長年、 通っていた日曜学校で聖書をよく学んだのですが、 旧約聖書には、 誰かが誰かを罰するということが、 たくさん書いてあります、 イスラエルの人が誰々を打ちのめし、 誰々に打ちのめされたなどという話です。 でも、 今、 私は、 が 「高い所」 にいて、 大きな罰のボタンを押すようなことはない、 そして、 は、 今日は、 私が罰を受ける番だなどとは、 決して言わないということが分かったのです。あまりにも、 とっぴなものなので、 声を出して笑ってしまいました。 そして、 その瞬間、 私の問題には答が用意されていて、 そしてそれは、 霊的な答であるはずだ、 と感じました。

それから数ヶ月して、 余命2~3ヶ月といわれた時からですが、 ボストンの近くにある有名な病院の脳神経外科医たちに会いに行きました。 そのうちの一人が、 「スージーさん、 奇跡です。 我々には、 何が起きたのか分からないのですが、 あなたは良くなっている」 と言いました。

私は、 「知っています。 病院よりも良いところに、 いるはずなのですよ」 と言いました。

そのときは、 「奇跡」 という説明しかできませんでしたが、 その後、 従来の考え方では説明できない恵みが、 偶発のものでも、 不自然なものでもないことを学びました。 「奇跡は、 無秩序をもたらすのではなく、 根本の秩序を展開して、 の普遍の法則の科学を樹立するものである」 (『科学と健康』、 p.135) というエディ夫人の言葉を、 今、 私は、 自然に受け入れています。

このとき、 私は、 すでに離婚し、 子供たちと私はホームレスになっていました。 生活保護を受けるようになるまで、 私たちは友人宅の居間に寝させてもらったり、 ホテルに寝泊まりしたりしていました。自分がすっかり健康になっていると感じていたのに、職探しで、 私の病歴について聞くと、 面接はそこで終わりになってしまうのでした。 それでも、 私と息子たちは、 家がなくとも、 私にとって、 人生で一番幸せなときでしたし、 息子たちもとても前向きな日々を送っていました。 ある牧師が、 住む家もなくて、 かわいそうだね、と言ったとき、 当時8歳だったブレットは、 「いいんだよ。 家はあったり、 なかったりするけれど、 僕たちには家族があるのだから」 と、 答えたのです。

では,なぜ、 医師が私に新しい診断を下す前から、 私は喜びに満ちていたのでしょうか。 は 「罰のボタン」 を持っていないと知ったあの日、 私は、 うつ病と臨床診断されて、生涯苦しんできたこの病から、 一瞬にして癒されたのです。 それまでは、 死ぬことは簡単だと思っていました; むしろ、 生きているのが地獄でした。 しかし、 今や、毎朝、 起きて、 が私をどこに導いてくれるかを知るのが、 待ちきれなくなっていました。 この私の幸福は、 ただ体が癒されたためばかりではないことが分かっていました。 そこで、 自分に何が起こったのか突き止めようと、 決心しました。

それでも、 当初、 私は、 その答をどのようにして得るか、 に代わって、 自分で決めようとしていました。 その答が教会という形で来ようとは、 思ってもいませんでした。 「霊性」という言葉が、私の語彙に加えられたので、 本屋にいって霊性と豊かさについて書かれたものを探しました。 ある教会の牧師が書いた本を見つけたのですが、 その本は、 献金 (収入の10分の1を捧げる) の概念と、 の豊かな考えについて、 新しい理解を与えてくれました。

当時、 私は生活保護を受けていましたが、 「デザイナーのためのショーハウス」 を設けることを思いつきました。 それは、 慈善団体の主催で、 室内装飾家が、 大きな家の部屋をリフォームして、 入場料をとって人に見てもらうというものでした。 私は、 ホームレスを減らす仕事をしている団体を見つけ、 企画を提示しました。 真冬ながら、 夏のイベントに負けないほどの収益をあげました。

実は、 私は、 リフォームをしている間、 家族とその 「ショーハウス」 に住んでいたのですが、 そのことを誰にも話していませんでした。 しかし、 ある時、 自分のしていることを、 慈善団体の責任者に話しました。

そしてその日から、 と、 私の癒しと、 霊性についての、 すべての疑問に対する答が与えられるようになったのです。

この責任者の女性に自分の状況を説明すると、 彼女は即座に自分の車から、 買い物袋一杯のキリスト教科学の読み物を持ってきてくれました。 その中には、 『科学と健康』、 この雑誌 『さきがけ』 の姉妹誌、 The Christian Science Journal Sentinelが含まれていました。 彼女は、 これらの本や雑誌を読んでごらんなさい、 私の疑問や必要とするものへの答えを、 見いだすでしょう、 と言いました。

その晩、 『科学と健康』 は、 理解するのに少し難しいと思われ、 Sentinelから読み始めました。 一晩中、 起きていて読んだのですが、 自分が素晴らしいことを発見していることの喜びで、 涙があふれました。 私に起こったこと、 なぜ癒されたか、 私を癒したの本性について、 納得のいく説明をしてくれました。 そのとき,私は、 自分はキリスト教科学を使って、 生涯、 他の人々を助けるのだ、 ということを知りました。

聖書の言葉、 「である」 (第1ヨハネ 4:16) は、 もはや、 空虚な言葉ではありません。 今や、 それは、 すべての行動と、 生命、 人生、 の源について、 語ってくれるものです。 これは、 本当に大変な旅路でしたが、 今、 人生で初めて、 家に戻ってきたように感じています。 私は、 に属していることを感じ、 実は、 これまで見失っていたのですが、 人生は健全であり得るということに目覚めたのです。 しかも、 自分が何か新しいものを発見したということではないのです。 この真理と、 その神性原理は、 いつもそこにあったのですが、 私が違うところを探していたのです。

キリスト教科学は、 私の家族に多くの恵みをもたらしてくれました、 つまり、 祈りと霊的成長が、 性格の向上と身体の癒しを、 必要に応じて与えてくれました。 その後、 私の体験を、 私が説明するよりも見事に表してくれる聖書の一節を見つけました: 「わたしはどこへ行って、 あなたのみたまを離れましょうか。 わたしはどこへ行って、 あなたのみ前をのがれましょうか。 わたしが天にのぼっても、 あなたはそこにおられます。 わたしが陰府に床を設けても、 あなたはそこにおられます。 私があけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、 あなたのみ手はその所でわたしを導き、 あなたの右のみ手はわたしをささえられます。 『やみはわたしをおおい、 わたしを囲む光は夜となれ』 とわたしが言っても,あなたには、 やみも暗くはなく、 夜も昼のように輝きます。 あなたには、 やみも光も異なることはありません」 (詩篇 139:7-12)。

もう、 私がどこへ行こうとも、 どんなに迷い、 暗闇が私の人生に存在したように見えても、 かまわないのです。 は私の生存を、 いつも同じように、 光輝くものとして見てきたのです。 は、 常に、 私を、 完全なものとして見てきたのです。

キリスト教科学は、 過去を、 新しい方法で見ることを教えてくれました。 それは、 私が、 どのように、 またなぜ、 末期にある病から癒されたのかを示してくれました。 それは、 私が実際には、 決して独りぼっちではなかったことを示してくれました。 私は、 を理解し始めて、 の現存に目覚めました。


スージー・フィーニーは、 マサチューセッツ州の ケープコッドに住み、 キリスト教科学者のための 生活補助組織の理事を勤めている。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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