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使命の達成は、 不可能ではない

キリスト教科学さきがけ』2009年07月 1日号より

The Christian Science Journal, 2.2008


なにか素晴らしい目的を達成したいとの強い衝動、 あるいは、 霊感さえ感じながら、 その衝動を自分で抑え込んでしまったというような経験がありませんか? 準備不十分、 気まぐれな思いつきによる馬鹿げた思い、 非現実的な夢、 真に価値ある目標ではないなどと、 考えてしまうのかもしれません。 その目的達成のためには、 途方もない努力が必要だとか、 自分にはそんな時間もエネルギーもないとか、 考えてしまうのかもしれません。 そこに立ちはだかるものがあまりにも大きく思えて、 気力をくじかれてしまうのかもしれません。

神の呼びかけに応じることに、 抵抗を感じるとき、 それがどのような形のものであれ、 それは自分だけが経験するものではないことを知るなら、 気を取り直すことができるでしょう。 聖書には、 神から霊感を受けて、 初めは、 その命令に従いたくないと感じながら、 ついに、 そんな抵抗感に打ち勝って、 目的達成に成功した人々の物語があります。 私たちは、 彼らの経験から多くを学ぶことができます。

例えば、 出エジプト記の3章と4章には、 モーセの話がありますが、 彼は、 エジプトの王パロの圧政に苦しんでいた同胞たち、 イスラエルの人々を、 自由にせよとの神の命令を受けました。 モーセには、 この神の霊感によって示された使命を、 拒否する口実が山ほどありました。 自分はそんな仕事をするに値しない者であると、 彼は抗弁します。 「わたしは、 いったい何者でしょう。 わたしがパロのところへ行って、 イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか」。 しかし、 神から、 次の力強い答えが返ってきます: 「わたしは必ずあなたと共にいる」 (出エジプト 3:11~12)。

それでも、 モーセは抵抗しました。 神が彼に現れたなどと、 大胆な言葉で語ったりしても、 ヘブル人たちは、 誰も信じないでしょう。 更に、 彼は、 自分は 「口が重く、 舌も重いのです」 と、 なおも抵抗しました。 神は忍耐強くモーセに語り、 わたしはあなたの口と共にあって、 あなたの言うべきことを教えるであろう、 と言いました。

ついに、 モーセは、 神から受けた霊感に従って行動し、 イスラエルの人々をエジプトにおける奴隷状態から解放しました。 モーセは彼らを 「約束の地」 へと導きました。 彼はまた、 イスラエルの人々に、 十戒を授けました。 そして、 唯一つの神という概念が、 ユダヤ教と、 他の2つの主要な世界的宗教であるキリスト教とイスラム教の神学の、 根幹となりました。 神に耳を傾け、 神から受けた霊感による考えに従って行動することにより、 モーセは、 自分の抵抗感を克服したばかりではなく、 彼の同胞のため、 また後の世代のために、 勝利したのです。

聖書の士師記は、 他にも、 神性の霊感による考えに、 抵抗した人がいることを伝えています。 ヘブル人ギデオンは、 天使の訪問を受け、 自国民を苦しめているミデアン人から、 彼らを救うようにとの命令を受けます。 ギデオンは、 天使の要請に抵抗しました。 (士師 6:11~16参照)

ギデオンは、 もし、 天使が告げるように、 「主がわたしたちと共におられるならば」、 どうしてヘブル人らは、 そもそも、 ミデアン人の支配下に置かれるようなことになったのですか、 と反論します。 また、 彼は、 先祖たちがエジプト人の手から救われた、 すべての不思議なみわざはどこにあるのですか、 と更に尋ねます。 どうして、 自分たちは、 今、 新たな支配者のもとにおかれているのですか? ギデオンは、 更に、 「わたしの氏族はマナセのうちで最も弱いものです。 わたしはまたわたしの父の家族のうちで最も小さいものです」。 彼の嘆きは、 モーセの言葉とこだましています: 「わたしは、 いったい何者でしょう。 わたしが行って、 あなたの人々を導き出すのでしょうか」 と言っているのに等しいのです。

ギデオンの反論は、 もっともなもので、 私たち多くの者にも、 このように不可能に思われる使命を引き受けることを、 諦めさせてしまい得たものだったでしょう。 しかし、 この神の霊感による使命を敢行せよとの考えは、 ギデオンの心から離れず、 彼にためらいと抵抗を克服させたのです: 「主は言われた... 『わたしがあなた共におる』」。 この神が常に共にあり、 力となる、 という保証は、 モーセが天使から受けた、 「わたしは必ずあなたと共にいる」 という言葉と非常によく似ています。 ギデオンも、 モーセと同様に、 ついに、 霊感に従って行動し、 同胞たちをミデアン人の圧政から救うために立ち上がったのです。 彼はイスラエル人の指導者となり、 先頭に立って、 他の敵をも打ち負かすことになりました。 貧しい家に生まれた、 このごく普通の人が、 神から来た考えに従って行動しようと決めたとき、 一国に大きな益をもたらすことになったのです。

神の命令に抵抗したと聖書が伝える別の人に、 ヨナがいます (ヨナ 1~3章参照)。 神は、 ヨナに、 ニネベに行き、 人々に説教して、 彼らの行なっている悪行を指摘するようにと告げます。 私たちは誰であれ、 他人の欠点を指摘しなさいとの命令を受けて、 喜ぶでしょうか? ましてや、 町の住人たち全員に向かって、 告げるのであったとしたらです。 ヨナは、 私たちの多くがすると思われることを行ないました。 彼は抵抗したのです。 抵抗したばかりではなく、 彼は逃げてしまいました。 ニネベとは反対の方向に行く船に飛び乗ったのです。 彼はタルソに向かいました。 しかし、 彼は、 神から逃れることはできないことを知りました。

海に嵐が起こり、 船が沈没しそうになるのを見て、 ヨナは、 神の命令を拒否して逃れようとしたことの誤りを悟りました。 彼は謙虚になって、 船と船に乗っている人々を救いたいと願い、 船員たちに、 自分を海に投げ入れさせたのです。 そんなときも、 神の導き、 愛、 加護は、 彼と共にありました。 彼は、 クジラ、 つまり 「大きな魚」 に飲み込まれ、 安全に、 陸に吐き出されたのです。 ヨナは、 この試練を経て、 ニネベに行きなさいという神の命令を実行することが、 自分の使命であることを確信しました。 彼はこの神の命令に従ってニネベに行き、 市民たちに神の言葉を伝えました。 住民たちは心を改め、 町は救われたのです。

神の指示に耳を傾け、 実行することに抵抗したのは、 旧約聖書の人々ばかりではありません。 イエス自身、 ゲッセマネの園で、 人類に対する彼の使命は、 自分が十字架に架けられることであることを知ったとき、 一瞬、 抵抗しました。 「この杯」 をわたしから取りのけてください、 と神に祈りました (ルカ 22:42)。 しかし、 彼はすぐに、 この神への抵抗を退け、 「しかし、 わたしの思いではなく、 みこころが成るようにしてください」、 と確言しました。 イエスが神の意志に服従したことが、 彼を復活と昇天に導き、 歴史の流れを変え、 私たちすべてに、 神の永遠の目的に対する希望と信頼を与えてくれたのです。

ある考えが正しいものであり、 それは神から来たものであることを知るとき、 疑いや恐れが、 口やかましく、 やらない方がよいと反対しても、 私たちは、 その考えを実行する力を持ってます。 ここに述べた聖書の人物は、 それぞれ、 神の指令した使命を達成するための、 勇気、 信頼、 確信を見いだしました。 私たちも、 みな同じように行動することができるのです。


スティーブ・ウォレンは、 妻と テキサス州オースチンに住み、 教会の日曜学校で教えている。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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