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深刻な消化不良が癒された

キリスト教科学さきがけ』2009年07月 1日号より

The Christian Science Journal, 12.2008


数年前のこと、 私は断続的に胃の不調を覚え、 それがだんだんひどくなって、 ついにある日、 消化機能が全く働かなくなり、 食べることも、 飲むことも、 排泄することもできなくなりました。

仕事に行けず、 通常の活動が何も続けられなくなった中で、 私は、 祈りのみに頼って癒されたいと願っていました。 それから数日のあいだ、 私は熱心に聖書とメリー・ベーカー・エディの著書を勉強して、 私を再び自由にしてくれる霊的真理を理解したいと思い、 祈り続けました。 シャデラク、 メシャク、 アベデネゴが、 ネブカデネザル王に命じられた偶像の礼拝を認めずに、拒絶した、 聖書の物語 (ダニエル 3章参照) が、 祈りのみによって癒されることを疑う誘惑に抵抗する、 私の決意を支えてくれました。

私は、 キリスト、 すなわち私たち一人ひとりが現す神性の本性を、 よりはっきり理解することに専念しました。 「主の祈り」、 「山上の垂訓」、 またイエスの癒しを伝える福音書を学んで、 深く祈りました。 また、 キリスト教科学の刊行物に載っている多くの記事を読んで、 私たち一人ひとりが、 神性の両親と決して途切れない関係にあることを確認し、 勇気づけられました。

妻は、一人では私の世話が十分にできないことが分かり、 数日後、 私を近くのキリスト教科学の看護施設に連れて行ってくれました。 霊的に支えてくれる施設の素晴らしい環境と、 熟練したキリスト教科学の看護師たちの看護に感謝しました。

私は、 この問題に対する答えが、 祈りを通してもたらされることを感じていました。 私自身、 霊的癒しを経験してきましたし、 他の人たちの癒しもたくさん目撃してきたので、 キリスト教科学の癒しの力を、 完全に信頼していました。

キリスト教科学実践士の助けと共に、 私の祈りを支えてくれている家族の祈りによって、 が愛をもって、 私の人生を統治していることを、 それまで以上にはっきり感じるようになっていました。 がすべてであることを実感しながら、 物質、 すなわち身体というものや、 病気は、 支配する力を持たないことを、 更に明確に認識し始めました。 私の真の本体は、 の映像であり、 体は考えから独立して行動できないことを、 更にはっきりと理解しました。 唯一の、 すなわちしか存在しないので、 私は、 の現れとして、 健康と正常な行動しか、現すことができないのでした。

この期間を通して、 幾度も霊感と啓発を与えられました。 痛みと闘いながら、 昼夜を通して祈り続けました。 ある晩、 遅く、 に、 私は何を知る必要があるのか、 教えてくださいと願いました。 そして、 示されたのは、 私がある種の不道徳な行動にふけっていて、 それと対峙し、 それを止めなければならないということでした。 具体的には触れませんが、 それは私の最高の善の感覚と妥協する、 ある種の官能主義でした。

私は、 この誤りは、自分の霊的本性に属するものではなく、 病気と共に、 捨て去ることができることを、 認識しなければなりませんでした。 このように祈っていると、 症状は残っていながらも、 前途に光が射してきたことを感じました。

10日ほど何も食べられない日が続いたあと、 根本的に変わる必要があること、 そうしないと、 私は死ぬかもしれないと思いました。 私は死を恐れてはいませんでしたが、 死は敵であるという聖書の教え (第1コリント 15:26 参照) をよく知っていたので、 死と闘わなければならないことを知っていました。

最悪の状態にあるように思われたその夜、 私は再び実践士に電話をして、 助けを求めました。 彼は、 が私にいつも語っていること、 つまり私の完全な身分は、 明白な真実であり、 そして、 私はそれを聞くことができるのです、 と言いました。 彼が、 本当に深い愛と霊的確信を持って話してくれるのを聞きながら、 私は、 自分のうちに心的変化が起こっていることを感じました。 そして、 腹部に、 冷っとした、 うずくような感覚を覚えたのち、 痛みが完全に消えてしまいました。

それから起こったことを描写するのは難しいのですが、 すべて良しという確信に包まれていました。 思考が、 これまで経験したことがないほどはっきりとしてきたのです。 まるで、 心的なやぶが、 きれいに取り払われたようでした、 そして、 私は真に霊的に存在していることを、 把握することができました。 その翌日、 消化機能が回復し、 普通に食事をすることができるようになりました。 私は家に帰り、 2〜3日のうちに仕事に復帰しました。 そのあと数日して、 すべての症状が消えました。

体の癒しに感謝すると同時に、 不道徳な行動に打ち勝って得た自由こそ、 実は、 私にとって最大の癒しでした。

この経験は、 私にとって試金石となりました。 それは、 2つの力は存在しないという、 霊的事実の理解を確信させてくれました、 つまり、 一方に私たちを助け、 養う力があり、 そして他方に私たちを害する力があるのではなく、 ひとつの力のみ、 つまりである神性ののみが存在する、 ということを理解したのです。 この癒しはまた、 キリストは私たちの意識に到来し、 私たちの思考を高め、 私たちを常に支える輝かしい真理へと導くことを、 確信させてくれました。


 

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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