Skip to main content Skip to search Skip to header Skip to footer

自然災害について日本からの祈り

キリスト教科学さきがけ』2010年01月 1日号より

Translated from spirituality.com


昨年はイタリア、中国でまた今年に入って、ハイチで起きた地震は多くの人々に心的不安と恐れをもたらしました。いずれ巨大地震が来るといわれている日本のような地震の多い国々に住んでいる人々,また地震のあまりない地域にすんでいる人々にもこのような現象を無視することはできません。日本では1995年に、それまでほとんど地震の可能性はないと信じられていた神戸で大地震がありました。

しかし、恐れずに無視しないで、また半ばあきらめた気持ちにならないことが重要です。キリスト教科学をとおして、霊的理論と、の力を正しく理解することによって、わたしたちが守られ、大災害といわれるものをも統治する力を、もっと持つことができることを学びました。

私は,かつてがいるのになぜ地震が起きるのだろうと思っていました。以前はあまりにも難しい問題なので、考えるのをさけていました。しかし再びこの10年くらいの間、考え続けました。このことについて、霊的な基本から考えることにしました。

自然災害についての私の恐れを鎮めるための力強い考えは、が全能ですべての力であるということに気づくということでした。キリスト教科学の発見者であり創始者であるメリー・ベーカー・エディは,次のような結論にたどりつきました、「全能は存在しないか、あるいは全能が唯一の力であるか、そのいずれかである」(科学と健康付聖書の鍵)。どんな状況であっても、唯一の全能の神がすべての空間を満たし、統治しているのです。

「では、なぜその全能は大地震をとめられないのか。全能の神は本当に存在するのか」と思う人がいても無理はないかもしれません。私は、次のことをキリスト教科学の勉強をすることによって学んでいます。私たちが霊的答を求める時、の無限のパワーが、私たちのいるその場所で現され、私たちに来るのです。聖書のなかでパウロは、「はわれわれひとりひとりから遠く離れておいでになるのではない。われわれは神のうちに行き、動き、存在しているからである」と言っています(使徒行伝)。

の創った霊的宇宙は、今まさにここにあり、それが私たちの存在の実在です。の創造は、 調和と善の霊的理念でできています。それとは反対に、神性のの反対である人間の心は、霊をまねて人間の心のうちに、それらすべてを物質的映像として描いています。人間の心に投射されているものは、たいてい本当だと受け入れられてしまいます。

しかし、物質は人間の意識の中の誤った映像であって、そのもの自体実質はないのです。自然科学の分野では物質の非永遠性と思考の役割についての発見がされています。たとえば,「宇宙とアインシュタイン」の著者であるリンカーン・バーネット氏は次のように言っています、「哲学者と科学者は、次のような驚くべき結果にたどり着いた、すべての対象物は単にその性質の総合されたものであり、性質はのなかにしか存在しないのだから,すべての第三者的にみた物質的でエネルギーだとみている宇宙、原子も星も,意識の組み立てたられたもの以外のなにものでもない。それは、人間の感覚では[人間]の意識が作り上げたものにすぎない」(Lincoln Barnett, The Universe and Einstein, p.11)。

物質的宇宙は、眠っているときの夢と同様、人間の心の幻想の世界と言えるでしょう。エディ夫人は「物理的宇宙は,人間の意識的な考えや無意識的な考えを表わしている。物理的な力と人間の心とは一つである」と書いています(科学と健康 )。

地震だけでなく、ハリケーン、津波、感染病等すべての災害は物質の力によって起きているように見えます。ところが、その力と結果は、そうではなく、その裏にある人間の心の無意識的な考えとして扱い対処して行くことができます。

自然災害の裏にある、一般に受け入れられている前提条件を見極めるには、人間の無意識的な考えが表わす夢を暴露し、破壊する必要があるのです。私たちが今ここに現実にある霊的宇宙を祈りをとおして意識する時、災害として表わされた人間の無意識的な考えは、人間の意識と経験から、その真実性を失い、静まり、消え去るのです。ちょうど闇が光の前に消え去るのと同じです。これは、自然なことです。

では、実際に私たちが大地震にあった時、どうすれば良いのでしょうか。私たちは地震の揺れを感じた瞬間、恐れおののくかも知れません。しかし、すぐに、があなたのいるその場所に、常に存在していること、そして、の力がすべての空間を満たしていることを祈り、意識し続けることが大切です。自分や家族、すべての人の霊的本体を、神性の愛が維持していることを祈り続けることができます。そして、 の統治が、 家、大地、海,そして建物の構造の霊的本体 までにもおよんでいるという考えに堅くすがりましょう。すると、地震の揺れは物質感覚のスクリーンに写し出された映像にしかすぎず、私たちの生活に破壊的な影響をもたらさないのです。怪我をさせたり、恐れを与えたりするような、力も実質も存在しないと知ることができます。すると、の調和と均衡を保つ力を感じ、体験することができます。地震による破壊的影響も、この力に屈服し、消えさって行きます。メリー・ベーカー・エディは「粘着力、結合力、引力は心の属性である。それらは、神性原理に属し、地球を軌道に乗せ、誇らかに高波に向かって「ここまで来てもよい、越えてはならぬ」と命じたあの思考力の均衡を支えているものである」と書いてます(科学と健康)。

この数年間、地震についてどのように考えたら良いのか祈っていました。ある晩、非常に暗い恐ろしい予感がしました。それで、前述のように祈りました。次の日、東京で震度5の地震がありました。被害はほとんどありませんでした。後にわかったことですが、震度5で崩壊すると専門家がいっている幾つかの欠陥マンションでさえ、何の被害も受けませんでした。の真の性質との宇宙を宣言したすべての祈りが、多くの人を守ったのだと確信しています。そのような祈りは、私たちが、災害をさけ、また、私たち自身を守るまでに私たちを目覚めさせてくれるのです。

2000年に鳥取県で、マグニチュード7.3の大地震がありました。遠くはなれた私の地域でさえ,大きな揺れを感じました。恐怖を必死ではらいのけ、私は前述のように祈りました。被害は非常に少なくすみました。その時も、私と他の人々の祈りが実際に効果があったと信じています。鳥取の被害は最小限でした。その夜のニュースで、キャスターが「マグニチュード7.3という大きな地震でこれほど被害の少なかったのは、稀にみることです」といいました。専門家も首を傾げ,その理由を調べていました。私は確かに神性の力が働いていたと感じました。

私たちがどんなに小さな地震でも揺れを感じたり,ニュースで見たら、即座に,の無限の力がすべての空間を満たし、人を含むあらゆる霊的本体が、によって維持され守られていると思い出すよう祈ることができるのです。

科学と健康249: 13-14, 484: 13-15, 124: 20

聖書(欽定版)使徒行伝17: 27, 28

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

『さきがけ』について、その使命について、もっと知る